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京都橘大学研究紀要第35号が出ています

京都橘大学研究紀要第35号が出ています。
学生のみなさんには学術振興課にいえばもらえるはずです。

いま、二つの論稿を読みました。じつに勉強になったし、それ自身、読み物として面白かったです。

まず、河野良平先生の《前川國男の「京都会館」における設計手法について》
1960年竣工の京都会館。翌年の東京文化会館の方がお世話になった回数が多いですが、数年前までは、卒業式がここで行われていました。とりわけ、中庭がいいですよね。
河野氏の論稿で面白かったのは、計画案(そのまえにコンペ案あり)から実施案にかけて、音楽ホールから多目的ホールにすることや800席を1300席にすることなどの変化とともに、形状の成熟プロセスが見られるという指摘です。
p159
《・・・4章でみた「京都会館」第1案の模型写真は前川の言うところの「やせた」建築だったと思われる。それが、第2案から実施案に至る過程で肉がつきフィクションを纏って「建築」へと昇華した。人を招き入れようとする大きく湾曲した庇や大きくなったピロティによって「京都会館」は人々に受け入れられ、親しみやすい施設になったことはまず間違いない。》

建築になるために必要となる「フィクション」。当時、前川さんはタイルを貼ることでそれを表現しようとしたと河野氏は言う。建築の肉となりうるフィクションは、物語りに通じるように思える。前川さんの言葉にも、骨董家が壺を集めるのは、「お前の大事にしているものをお前に代わっておれが預かってやろうというような意味(小林秀雄が言っていると前川)」があるのだけれど、そういう意味をフィクショナルに付け加える壺という存在そのものが物語性を持ちうるものなのだ、となんとなく感じるのですね。

もうひとつ、同じく同じ学科の西山紀子先生の《戸の開閉行動と取っ手のデザインとの関連性について》。あまりに身近な戸、扉。うちの大学の図書館や清和館、清優館、清香館の出入口とそれについての学生の発語が研究調査につかわれていて、面白いし、そのベースにアフォーダンス理論があるという部分に、なんだか、私とつながっていて興味ぶかい。「戸に与えられているメッセージ性」とアフォーダンスとの関係、そして、インテリアのフィクションあるいは物語りということと何らかの関係があるのではないか・・・また、西山先生とアフォーダンスについて、そして、河野先生も交えて、建築インテリアにおけるフィクション性をめぐって、あれこれ、お話ししようと思う。
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by kogurearts | 2009-03-08 14:39 | お奨め