アーツマたちばな

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デリダに久しぶりに挑戦しようかなっと。死と秘密、パッション、アポリアを考えるために

「死」をめぐって、思考がそそられていく文章を発見。
未来社が出している『未来』(2004.12)は、10月に逝去したジャック・デリダ追悼特集で、そのなかに守中高明という人の「『秘密』をめぐる断片」がある。そこの一節(P6~7)が素敵だったので、抜書きしておく(他には、小林康夫、鵜飼哲などが寄せている)。

《・・だが、「おのれに固有の死」とは何か。死――それは、現存在が不可能になる可能性として、最も自己に固有=本来的なものであるが、しかし、この経験は実際には、現存在に何一つ固有=本来的なものを与えず、所有することを許さない。

《ハイデッガー自身が書いているように、「可能性としての死」は「いかなる『現実化されるべき』ものをも現存在に与えないし、現存在が現実的なものとしてみずからがそれであり得るようないかなるものをも与えはしない」。現存在に完全な固有性=本来性を要求し、最も近く、最も固有なる経験として切迫しつつ、しかし、最も遠く、「現実的なもの」を何一つ与えない死という経験。

《死とは、ハイデッガーの言葉にもかかわらず、実のところ、「およそ最も非固有で、最も脱-固有化し、最も非真正化する可能性」(デリダ)なのであり、死において「現存在の固有なるところは、その可能性の最も根源的な内部から、最も非固有なるものによって汚染され、寄生され、分割される」(同)ことになるのだ。》

《・・秘密は応答しない。秘密は、解釈や操作や臨検に応じない。それは、非-応答への権利を主張する。だからこそ、秘密の秘密がある。秘密は、その絶対的な非-応答性において、自由の空間を開き、それを保持するのである。秘密は残り、留まり、抵抗する。そのとき、秘密の空間は万人のものであるだろう。来るべき民主主義への権利を呼び求めるものたちすべてを宛先とする、無限の秘密。

《秘密。その果てしない、限りない、受苦と情熱。秘密へのパッション。》

たしかに、ジャック・デリダの『アポリア』(人文書院、2000)と『パッション』(未来社、2001)を読みたくさせる追悼文である。買っても、きっと、ブルデューの高くて分厚い本たちのように拾い読み、飛ばし読みになってしまう予感はあるのだけれど。
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by kogurearts | 2004-12-27 23:09 | 研究活動