昨夜、またぼくが書初めをしていたら、「私もしようかなあ」って、子どもたちが書き出しました。むかし、宿題のお習字のときは、いやいややっていて、ぼくが厳しく言うものだから、ずっと正月の書初めは苦痛だったそうです。うーん。
「遅暮」は、ゆっくりと歳をとることであり、「ゆっくりしていておそいこと」。
暮年。スロースタイルって、ぼくの苗字と関係しているのだなあとしみじみ。
“少壮年月を軽んじ、遅暮光輝を惜しむ(=若く盛んな時は、歳月をおろそかにしてしまうが、輝かしい生ある日が実はわずかであると知って大切にするようになる)”。
過去をやり直すことは出来ないのですが、どうしたら、アーツに参加する人が増えるのかを、
正月のこの家族のなかで考えることが出来るなあと思います。
親密圏と
限界芸術について、そのワークショップづくりとともに、実践する年になるでしょう。
参考:
公共性における公開についての有意義な論文を見つける。
瀧川 裕英著「公開性としての公共性―情報公開と説明責任の理論的意義―」