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「アイデンティティーという言葉のわな」野田正彰関西学院大教授のコラムより

10日の京都新聞夕刊より。野田正彰関西学院大教授「折々の記」の「アイデンティティーという言葉のわな」はかなり大切で、ぼくらが安易に「地域アイデンティティ」とかいって、それを行政や企業の文化支援(メセナ)の存在理由の根拠などに多用することの危なさをいましめてくれるコラムだった。
 そもそも民族なるものにアイデンティティーはない。もし民族アイデンティティーをある民族の特性についての意見と理解するのではなく、ある民族が持つアイデンティティーと誤解すれば、アイデンティティーという概念そのものが意味不明になる。民族は歴史的につくられてきたにもかかわらず、ひとつの実体であるかのように語られる。そこには言葉の偽計がしくまれている。・・・・・・
 政治学や文学理論で濫用されてきたアイデンティティーは、今や政治権力の中枢にある人が使う言葉になっている。言葉の誤用、濫用は市民の思考を非論理化し、批判力を失わせる。
 1980年前後(国土庁計画・調整局計画課に自分が在籍したのは、1980.7~1982.6)、企業のCIブームからか、神奈川県庁がKANAGAWA IDENTITYというようなことを言い出し、すぐにそれらの動向とかを加味して「地域アイデンティティ」なる言葉をつくり、その危機についての文章を第4次総合開発計画づくりの準備として国土審議会の調査報告書案として書く担当の事務官であったという偶然の事実があって、そのことで、より、以上の指摘はある感慨をもよおすものである。もちろん、単にぼくは下書きを書いただけで、オーソライズするのは幹部によるが(実は第4次総合開発計画に「地域アイデンティティ」という言葉が実際に入ったかどうかを確かめてはいない)。
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by kogurearts | 2005-09-11 11:08 | 研究活動