アーツマたちばな

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安本美典『日本人と日本語の起源』を読んで「文化」についてちょっと考える

安本美典『日本人と日本語の起源』(毎日新聞社、1991)、昨日の電車の往復の間に読んだ本。著者によると、日本語の起源はこういうふうになる。まず縄文時代までの基礎的な「古極東アジア語」(朝鮮語やアイヌ語もここから出てくる)をベースにした日本語基語があった。ここへ紀元前3~4世紀に江南からビルマ系の言語が来て、日本語祖語=倭人語ができたというのである。

魏志倭人伝のなかで、邪馬台国などを形成する倭人が「黥面文身」(顔に入れ墨をし、身体にも入れ墨をする)している風俗が、中国江南地方のものである部分も興味深い。入れ墨やポンチョ(貫頭衣)などの南方系習俗が「弥生人=南方系説」の根拠の一つ。

日本において、国家をはじめて形成した人たち(「政策」形成者)が、「文」する(=入れ墨をする)人たちだったわけだ(鮫などを追い払う呪文的な模様だったと書かれている)。これって、逆説的だが弥生人が身体を人工化した「文化」を体現しているということになるのだろうか。1万年前のイヌの化石が日本で発見されていることなど、本筋でない部分も面白い。アイヌ人と日本人の関係をずいぶん遠くぼくたちは思っていたのではなかったか、という反省も読みながら感じる。

「文化」の漢語的意味が「文徳で教化すること。力や刑罰を用いないで人民を教え導くこと」(漢語林)とあるが、これと入れ墨とはどう関係するのだろう。象形文字としての「文」が「人の胸を開いて、そこに入れ墨の模様を書くさま」であることと、刑罰として入れ墨を入れる(漢民族ではないという差別をするためという)こととの整合性をどうつけたらいいのだろう、時代的な変遷か。先に書いたように、漢民族に追われた江南の民(入れ墨をしていたことで、漢民族からは劣位の民族と思われていた)が弥生人の源流の大きな塊だとすれば、これも大きな謎だ。

文化政策の起源を日本に探すと、幾重にも「黥面文身=入れ墨」が重要なポイントになるかもしれない。
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by kogurearts | 2004-12-31 16:44 | 研究活動

日本人赤ちゃん1年間国内誕生数が、もうすぐ日本人国内死亡数に抜かされる!

冠婚葬祭の研究のこともあって、インターネットで死亡数と出生数を調べる。2003年、人口動態統計によると、死亡数がはじめて100万人を超えて、101万5034人になり(1966年の約67万人が底で、徐々に増加し続けている)、他方、出生数は112万3828人のなる(1949年のピークは約270万人だった)。近いうちに逆転するのは間違いない。婚姻件数74万220組、離婚件数28万3906組。結婚数はどんどん減少。離婚数は前年より少し減ったのが特徴ではあるが。

以上の数字は、日本国内における日本人国籍の数字で、外国にいる日本国籍の人、そして、日本にいる外国人の数字は別掲されていた。在住外国人の出生数は11157人、死亡数は5772人であるということ。国籍別の表もある。

死亡数の死因別数字を見ると、どうしても自殺数に眼が行ってしまう。これ(人口動態統計・厚生労働省)は遺族による報告なので、警察統計資料よりも数字は低くなるが、2003年は、32082人で02年の29949人よりもずいぶん増えている。不慮の事故(自殺との境界部分もあるだろうが、これはほぼ交通事故)の38688人についで第6位。

合わせて、警察統計資料に当たっておくと、2003年の自殺者数は34427人(02年32143人)で過去最高である。内訳は、男性24963人、女性9464人。外国(中国では農村部中心に年間25万人が自殺しているというびっくりする記事も検索されるが)との比較によっても分かるように、男性の中高年(特に、45~60歳あたりが多い)自殺が問題となる。

政府の答弁によると平成22(2010)年には、2万2千人の水準に自殺者を減少させる(これは急激にふえた1998年の前年までの水準)ことを目標にして、『国民健康づくり運動」をしているとしている。
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by kogurearts | 2004-12-30 02:03 | 研究活動

2/11のお仕事(滋賀県米原町にて)

文化ホールが出来ることをめぐった以下の勉強会に出ます。

【滋賀県文化ホールボランティアフォーラム】
日 時  2005年2月11日(金・祝)10:00~17:10
会 場  滋賀県立文化産業交流会館 小劇場(滋賀県坂田郡米原町下多良二丁目137)
県内の文化ホール関係者やボランティアが一堂に会し、ディスカッションやワークショップを通じて、将来の文化ホールとホールボランティアとの関係のあるべき姿を考えます。
内 容 ◆基調対談「文化ホールとボランティアとの関係を考える」
      帝塚山大学大学院 法政策研究科教授 中川幾郎さんと私
     ◆ワークショップ
        第1分科会 初歩の舞台技術
          ①照明体験  反響板照明から通常照明へ仕込み替え
          ②音響体験  マイクの仕込み
          ③舞台大道具体験  平台の組み方他
          第2分科会 コンサートでの接客業務
          お客様の誘導、カゲアナウンス、チケットのもぎり方他
          第3分科会 ホールとボランティア
          ①アートNPOと文化ホールボランティアの関係
          ②指定管理者制度と文化ホールボランティア
       ワークショップの前後に模擬コンサート(邦楽)を行います。
     ◆まとめ
          各分科会の発表・意見交換
募集人員    100名
参加料      500円(当日徴収します)
申込お問合せ先 滋賀県立長浜文化芸術会館 FAX 0749-63-7401 
   電話 0749-63-7400 
   nagahama@shiga-bunshin.or.jp
申込期限   2005年2月5日(土) 
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by kogurearts | 2004-12-29 13:40 | 研究活動

cultivateという雑誌に書いたコラムが見つかる

【Cultivate Vol21 特集◎文化力と都市環境】より
劇場文化の豊かさが関西の自由な文化風土を昂進する

株式会社文化環境研究所という、株式会社乃村工藝社の子会社によるコラムをサイトで書いてきましたが、これは雑誌のものです。
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by kogurearts | 2004-12-28 14:35 | 研究活動

デリダに久しぶりに挑戦しようかなっと。死と秘密、パッション、アポリアを考えるために

「死」をめぐって、思考がそそられていく文章を発見。
未来社が出している『未来』(2004.12)は、10月に逝去したジャック・デリダ追悼特集で、そのなかに守中高明という人の「『秘密』をめぐる断片」がある。そこの一節(P6~7)が素敵だったので、抜書きしておく(他には、小林康夫、鵜飼哲などが寄せている)。

《・・だが、「おのれに固有の死」とは何か。死――それは、現存在が不可能になる可能性として、最も自己に固有=本来的なものであるが、しかし、この経験は実際には、現存在に何一つ固有=本来的なものを与えず、所有することを許さない。

《ハイデッガー自身が書いているように、「可能性としての死」は「いかなる『現実化されるべき』ものをも現存在に与えないし、現存在が現実的なものとしてみずからがそれであり得るようないかなるものをも与えはしない」。現存在に完全な固有性=本来性を要求し、最も近く、最も固有なる経験として切迫しつつ、しかし、最も遠く、「現実的なもの」を何一つ与えない死という経験。

《死とは、ハイデッガーの言葉にもかかわらず、実のところ、「およそ最も非固有で、最も脱-固有化し、最も非真正化する可能性」(デリダ)なのであり、死において「現存在の固有なるところは、その可能性の最も根源的な内部から、最も非固有なるものによって汚染され、寄生され、分割される」(同)ことになるのだ。》

《・・秘密は応答しない。秘密は、解釈や操作や臨検に応じない。それは、非-応答への権利を主張する。だからこそ、秘密の秘密がある。秘密は、その絶対的な非-応答性において、自由の空間を開き、それを保持するのである。秘密は残り、留まり、抵抗する。そのとき、秘密の空間は万人のものであるだろう。来るべき民主主義への権利を呼び求めるものたちすべてを宛先とする、無限の秘密。

《秘密。その果てしない、限りない、受苦と情熱。秘密へのパッション。》

たしかに、ジャック・デリダの『アポリア』(人文書院、2000)と『パッション』(未来社、2001)を読みたくさせる追悼文である。買っても、きっと、ブルデューの高くて分厚い本たちのように拾い読み、飛ばし読みになってしまう予感はあるのだけれど。
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by kogurearts | 2004-12-27 23:09 | 研究活動

プラトン『ゴルギアス』を読んで~迎合からの自由というテクネー

映画『約三十の嘘』を見る

少し関係することでもあり、アーツとエンタテインメント(娯楽)との区別を考えるためにも、プラトン著、加来彰俊訳『ゴルギアス』(岩波文庫、1967)にあるソクラテスの言葉(プラトンが政治に向き合うために必要だった思考でもある)を抜き出しておく。昔英語で習った政治屋(politician)と政治家(statesman)の区別があるという話とも関連している。

《・・・身体でも魂でも、それぞれのものの世話をするのに、二通りのやり方があるとぼくたちは主張していたのを、ここで思い出してもらうことにしよう。つまり、その一つは、快楽を目あてにしてその対象とつき合うものであり、いま一つは、最善のことを目ざしながら、ご機嫌とりをするのではなく、あくまでも自己の立場を守り通してその対象とつき合うものである、ということであった。》P209~210

身体の技術(テクネー)は、体育術と医術である。快楽のみ、人びとのご機嫌とり(迎合)をするのは、体育術なき「化粧法」であり、医術なき「料理法」であるという。他方、人間の精神(魂)の技術は政治術であり、政治術(立法術と司法術)なき迎合が、ソフィストの術であり弁論術なのである。

詩(劇)が、どうもソクラテス(プラトン)によれば、弁論術の一種になっていて、「技術(アーツの語源であるのだが)」なきものであるように語られているのは、心外だが、それをおいておけば(技術を持つ=大衆に迎合しない詩=劇=芸術があるという留保をしておけば)、エンタテインメントとアーツとの関係がより総合的・哲学的にすでにギリシャ時代に言われていたことがわかる。

《・・そのうちの一方は、技術的なものであって、魂にとっての最善が何であるかについて、あらかじめ何らかの考慮をしているものであるが、これに反して、もう一方のものは、最善ということは無視して、これまた身体の場合と同じように、ただ魂の快楽だけを問題とし、どうしたなら魂に快楽がもたらされるか、ということは考えているけれども、快楽の中でも、どれはより善いものであり、どれはより悪いものであるかということについては、考えてみようともしなければ、また、より善いことになろうが、より悪いことになろうが、ただ気に入られて喜びさえすれば、それ以外のことには全然、関心のないといったものなのである。》P174
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by kogurearts | 2004-12-27 22:15 | 研究活動

演劇をコミュニティ・ビジネスとして生かすこと

今日が最後の研究室だったのに、大掃除もせず、卒論の要約を出している学生と出していない学生をチェックしたりしているとすぐに時間が経つ。葬祭ビジネスの雑誌(「フューネラル・ビジネアス」)も読まないで溜まっていて、ずいぶんとし残したことの多い1年となった。

ちらっと読んで面白いと思った記事(それが雑誌の山にまぎれてどこにあったかまた見当たらなくなっているのだが)に、宗派に関係なく導師さんを紹介するビジネスがあった(宗派内だとうちの真言宗のお寺でも法事のときにいろいろなお坊さんが来るというから、サービスの斡旋調整をしているはず)。インターネットで検索すると「日本近代宗教研究会」というところがしているようだが、ぼくが読んだのはもともと霊園経営のところだったはず。

どちらにせよ、菩提寺がない世帯が増えていることで、僧侶をデータベース化し(読経や説教のタイプなどを記録していく)、お葬式のときに適切な(料金=お布施、タイプ)導師を宗派別に適切に紹介するのは、喪家側のメリットもある(お布施料金の透明化)が、基本は事務所サービス業として、本業で仕事の出来るという面で寺院が助かることで成立する(葬儀社にもメリットあり)システムなのだろうと思う。葬儀社に喪家の紹介料を払う一方、導師がいただいたお布施の3割を受け取るというのが、雑誌で読んだサービス会社の仕方だった。

そんなことを思っていると、蓮行さんらが来たというので、下に降りる。第1回「京都演劇力活用ビジネスモデル研究会」である。「演劇の力を活用した京都らしい生活演出型ビジネスモデルの開発」を50万円の助成金でどうやって運営するかを打ち合わせする。
どんなゲストを呼ぶかということ(東京でなりそめ演劇などをやっている会社ロングランプランニングの人と蓮行さんは知り合いだということと、参加企業をどう増やすか。話す中でイメージが膨らむ。結構ユニークな研究会になりそうだ。生活と演劇をつなぐということは、葬式において行われている導師紹介システムと同じサービスを、冠婚葬祭はじめいろいろな生活シーンにおいて、演劇で出来るかということでもある。演奏者紹介システムはあるので、これも参考になるだろう。

1/31(月)の15時から17時まで第2回研究会を京都橘女子大学で行うので、学生など希望者は申し出てくださいね。

終わってから、研究室にメンバーを案内すると、24時間、こんなことばかり考えていられてうらやましいとか、オルガン弾けるのを自慢したかったのね、とか言われて、うーん、そうだなあ、何とか演劇でやっていける仕組みを考えなくちゃと心したり(年末なので)。
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by kogurearts | 2004-12-24 15:43 | 研究活動

コミュニティ・シネマの行方

長谷川孝治さんの日記で知る。
公共上映とコミュニティ・シネマ運動の行方
コミュニティシネマ支援センターというサイトのなかです。
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by kogurearts | 2004-12-23 08:59 | 学生とともに

校務の日

日録もここに統合していくので(練習) 
キャリア教育について、いろいろ勉強しました。価値観形成がぼくたちの役目、そしてキャリア科目は職業観形成、そしてノウハウは学生支援課でするんだなあ。その連携ですね。
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by kogurearts | 2004-12-21 17:35 | 学生とともに

入試監督

トカトントンとか(入試監督・採点のあとダンスdeゴザンスに行った話は、こぐれ日乗にて)
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看護学部ができたり、文化政策学部が文化政策学科のほかに現代マネジメント学科ができたり、共学になったり(でも2割程度かな、男子は)、京都橘大学も女子が2005年度はとれてずいぶん変わります。ぼくも少しは面白い講義をしなくちゃと思います。
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by kogurearts | 2004-12-18 12:22 | 研究活動