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アーツマたちばな

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オレ様化する子どもたち に対応して いけるのでしょうか

評判のいい新書。確かにそうだが、国民と市民の関係とか、共同体と農業社会とか、荒っぽい感じはするし「社会化」という用語法もちょっと一方的な含意づけなのかも知れない。でも、非常に面白く、身が引き締まった(大学もまた同じような気がかなりしたからだ)。プロ教師の会、と言われると、経験の乏しい中年公務員離脱組の教員は、そくざに平伏するしかない。

諏訪哲二オレ様化する子どもたち』(中公新書ラクレ、2005.3)を読んで、いままでのゼミなどにおける課題を思いやった(内田樹さんのブログに習って読んだもの)。大学生になっても、まだまだ気をつけなくちゃいけないとのことが多いし(学生の個性などマスコミの刷り込みであり、まずするべきことは、市民的社会化である)、遅すぎること(ひと・・生徒ではなく学生になっているのだ)もまた多いのである。
 
A先生は、子どもたちを、学んで自分を変革しようとする子どものあり方である「生徒」の方向へ向けて形成するのではなく、子どもたちの「いまだ個ならざる個」や「とりとめのない自己感覚」の変容という方向へ向かった。これは実は途方もなく大変で恐ろしい方向なのである。際限のない子どもたちの自己の欲望の彼方を経めぐって、学ぶ主体である「生徒」に帰還することは、教師によっぽどの才能がなければむずかしい。 p106

子どもたちにとって、「学ぶこと」が困難な時代に入ったのである。・・家庭(の親たち)に教養や文化力があって子どもを「消費主体」の自信を持たせると危険であることを知っていて、なおかつ、人が生きるということは単に経済的な自立を意味するわけではなきことを「教える」ことのできる家の子どもたちは、「学び」に向かっていける。家にそういう「文化資本」のない子どもたちは、経済に翻弄されるだけである。 p222

 普通教育においてまず重視されるべきであるのは、「個性化」よりも「社会化」である。まず市民(的な「個」)形成にポイントをしぼるべきである。・・・・・俗に「個性」を胎児にしないと「個性」が潰されてしまうと危惧する人が日本には多いが、市民形成(「社会化」)のプロセスで潰されてしまうような「個性」は潰されるべきである。・・「社会化」されているあいだになくなってしまうようなものは、「個性」ではない。まさに、「個性」が「個性」でありうるために「社会化」が必要なのである。「個性」は育てられたり教育されるものではない。 p230~231

by kogurearts | 2005-05-04 19:27 | 教育の模索