http://doraku.asahi.com/lifestyle/simple/index.html
以下、引用です。建築家という媒体的存在は、東京都の文化政策として載せた所でもあれこれ思いましたが、アーツマネジメント的にその役割とかいままでの活動などを分類したり再考したりする必要があるのかも知れませんね。
新聞社の支局だったそのビルは、1928年の建造。柱やバルコニーのデザインもおもしろく、京都の町なかでちょっと目をひく。上階にはホールがあり、店子としていくつかのギャラリーも入っていた。たまたまギャラリーのパーティで出かけた広幸さんは、雑談の中で売却の話を耳にした。設備は老朽化し、建てなおす案も浮上しているという。
「酒を飲んで話してるうち、つい本気になって。それなら僕が買うって言っちゃいました」もちろんお金に余裕があるわけではない。「銀行にかけあい、事務所を売るから全額貸してほしいと言ったけどダメ。結局、『本社の移動にともなうビルの購入』という形で、やっと資金を借りることができました」
ビルの店子にとどまってもらうことで家賃は入る。移転する新聞社の新社屋設計も引き受け、少しずつ返済計画のめどもついた。当時はちょうど自分たちの家を建てるつもりで、すでに図面もできていたのだが、「本社の移動」が条件だった以上、事務所はビルに移すしかない。空いた元料理屋を改装して、自宅として使用することにした。
「ほとんどドミノみたいなもの。こういう話になると夫婦で意気投合するの」と智美さん。広幸さんも、「京都人って、さほど古いものを大切にする気風じゃないんです。でも、一歩引いて見ると、残すべきいいものはたくさんある」と振り返る。
「アートコンプレックス1928」と名付けた古いビルには、ほとんど手は入れていない。あくまでも保存のための買い取りだ。今では、レトロな空間にいくつのもギャラリーやカフェ、コミュニティFM局、ショップなどが入り、貸しホールでは芝居やコンサートが行なわれる。新しいアートの発信地として若者たちに人気のスポットに育った。一方、新聞社の新社屋も、ギャラリーなどが入ったモダンな建物として評判だ。広幸さんの事務所も、ここに移した。