<さきらの指定管理者制度導入にかかる第2回市民シンポジウム>どうも、こちらは最近出不精でよくないですね。これは、さきら関係者とかご興味をお持ちの方は読んでいただいている「巻頭言」でしょうが、アーツ施設の方向性としては、さきらは失敗もありましたが(これは行政や財団のことを考えると数年早すぎる企画だったのだとぼくは判断しています)、いいなあと思っているので、そういう素直な気持ちで書いたエッセイがありましたので、ここに再掲しておきます(8月号だったと思いますので、もちろん指定管理者制度関連のことをまったく念頭においていないで書いていますし、依頼を受けています。ちなみに原稿料はいただいていません)。
○タイトル「さきらはいったい誰のもの?」
○ミッション:栗東芸術文化会館さきらの指定管理者制度導入にかかる問題は、12月22日、栗東市議会においても「継続審議」となり混迷する中、栗東市民がさらに開かれた情報を共有し、さきらの今後、またさきらに始まる栗東市の行政サービス民営化の今後について監視し検分していくための語らい場として開催します。
○日時:2006年1月9日(月祝)18:00~20:00
○会場:栗東市中央公民館大ホール
(栗東市安養寺八丁目4-5 栗東市役所の前JR草津線手原駅より徒歩10分)
○スピーカー/髙澤空男氏(栗東演劇祭実行委員会事務局)
竹之内晃氏(栗東音楽振興会会長)
宮沢十馬氏(滋賀演劇友の会代表・劇団異国幻燈舎座長)
中川幾郎氏(帝塚山大学法政策学部教授) ほか市内文化関係者、さきら利用者、一般市民、有識者(文化政策、公共文化施等)より構成
○コーディネーター/桧森隆一氏(ヤマハ株式会社静岡企画推進室 地域文化貢献担当主査)
○参加費無料/資料代(カンパ制)
○主催/栗東市の文化のまちづくりを今日から実践する会<代表:天野真理子(劇団NEWWAVE代表)>
○問合せ:e-mail ritto1214sakira@yahoo.co.jp(シンポジウム当日はメールの確認が出来ない場合があります。予めご了承ください)
【巻頭リレーエッセイ(さきらの発行ペーパー)】あれれ。そういえば、こぐれ日記ですでに紹介していました。ぼけているなあ。でも、まあいいか。http://www.arts-calendar.co.jp/KOGURE/05_09/sakira.html
この十年~関西のアーツ環境
この十年は、出身エリアである関西で過ごした。その前の五年ほどは、東京で全国各地域における芸術環境づくりの仕事をしていて、今度は立場を変えつつ、関西に絞ってその関係の仕事を続けることになったわけである(いまでは、アーツマネジメント関係ですといえば割とすんなり私の仕事を理解してもらえるようになった)。
栗東には、施設が出来る前から果敢にプレ事業をされていた関係で、数度訪れていた。ダンスの山下残が岡崎の自宅から栗東駅のピデストリアンデッキまで歩いてきたのには驚いたし、筏でお習字をしたのも懐かしい。施設が完成したとき、確かにさきっぽという意味のさきらが出来るべくして出来たなあと、先端芸術をいかに地域に紹介したらいいかを探求していた私には嬉しくて仕方がなかった。
滋賀県内のアーツプレイスをすみずみまで知っているわけではないが、さきらは甲賀市水口の碧水ホールや滋賀県立びわ湖ホールとともに、他地域から一目置かれる芸術センターである。びわ湖ホールの評価ポイントは、東京の動きとほぼ同期して、しかも質を違えず芸術を紹介しているところである。東京とそれ以外の地域の関係は、東京の評判が出来たあとに全国が手を伸ばすというものであったが、びわ湖ホールは、ネットワーク化によってその格差を感じさせない。ただ、先端的なアーツ、関西で勃興しているいまだ名づけられない動きを紹介し育てるところまでを守備範囲にはしていないのが現状である。
それに対して、さきらは、びわ湖ホールの守備範囲外をきちんと補完して余りある活動をしてきた。滋賀県という関西の中心からみるとかなり東に寄っている場において、いま蠢きつつあるアーツの諸相を発見することは困難を極めると思われる。それに果敢に挑戦しつつ、そのリスクを地域の住人との交流、例えばワークショップにおいてレジデント(滞在)する芸術家との共棲によりヘッジする手法は鮮やかであり、関西の芸術環境を動かすことにおいて大きな足跡を残してきている。
しかしながら、市場芸術など有名で集客が容易なものばかりが日本全体を跋扈する現在。碧水ホールやさきらをはじめ、アーツセンターの活躍にも関わらず、自治体の財政難、指定管理者制度と民営化=営利企業化の危機、就職第一主義の若者はじめ人びとの保守化などから、地域の芸術環境づくりはとても厳しいものがある。
それでも、関西のアーツ関係者は、諦める必要はないと思う。いままでの十年間の道程と(挑戦に基づく失敗を含めた)成果はこれからの資産になるであろう。激動のときを迎えて、ここでいまできること、資産を生かして未来につなげる方策を考えるビッグチャンスであると考えることが出来る。紹介した場所以外にも、例えば近江八幡にあるボーダレスアートギャラリーNO-MAなど、未来の希望に出会える場を持っている滋賀の動きをこれからも大切に見守っていきたい。
地域別で見ると、最も費用をかけて「ハデ婚」をしたのは福島県で372万円。最も費用をかけない「ジミ婚」だったのは北海道の165万円だった。「東北地方は近所、親族まで呼ぶ習慣があり招待客数が多い。一方の北海道は会費制が一般的となっているため」(同誌編集部)という。
全国のカップルが、挙式・披露宴の際に心がけたことは「アットホームな雰囲気」(64.7%)、「自分らしさを表現できる」(56.7%)、「列席者を退屈させない」(54.1%)の順で多かった。
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たとえば、戦後、経験したことがない人口減少時代の到来という環境条件。それについての無関心ぶり、漠然とした不安はあるが、対応方針、体系的な政策論の不在。あるのは、少子化対策のカンフル剤、子どもの安全囲い込み防衛策、高齢者医療費の自己負担化や障碍者補償の切捨てであって、「政策」といえないものばかり。
そういえば、来年には日本の人口が自然減へと転じるだろう、つまり、2006年には、1年間に生まれる赤ちゃんよりもお亡くなりになる人が数的に増える時代になる:だから、アーツの原点(限界芸術)の一つ、人をあの世に送り出す「術」の重要性がまずますクローズアップするのよと、私はついこの前のアーツマネジメントの講義でも(冠婚葬祭の雑学授業だという授業アンケートには負けず、いつものように)いったところであった。
けれども、なんと、今年の1月~3月にかけてインフルエンザで高齢者が多く亡くなったことなどにより、今年がそのターニングポイントになるという推計人口の報道が出てしまった(1万人ほど死者の方が多くなりそうだというのだ。確定するのは来年だが、いずれにせよ「少産多死」時代の到来であることは間違いなく、2040年ごろ死亡数が170万人でピークとなる予想である)。もちろん、はなより信じられなかった年金楽観予測(どうして日本人は政府に対してこんなに寛容=無批判になってしまったのだろうね。これだったら官僚のまま、ぼんやりいたほうが楽だったかなあ←もちろん冗談)の再計算問題が直接関係して個人的にも随分不安ではあるが、社会保障の未来のみならずさまざまなところに影響が出てくる。
人口は自治体の基本的エレメントである。(昼間人口のことや、訪問人口への考慮とともに)自然環境の保全を考えると、面積のことをもっと考慮すべきであるとは思うが、常に地域は人口の増加をめざし、それを望んでビジョンを作ってきた。だから、人口減少即地域の衰退、活力=元気なしとなってしまいがちなのである。したがって、結局、うやむやに他律的に進む市町村合併の次にくるのは府県合併であり、野宿者の増加と同じぐらいクルーシャルな日本の歪みの極点としての過疎地域の死滅化もすすむ。
文化政策としては、納得のいく自分の葬送・埋葬と死後の住処準備を含むエンディングサポート、ウェルエイジング環境づくりがより大きなテーマになることは必定だろうし、いままでその地域に生きていまは死んでしまった人、つまり、死者を含んだ文化政策が必要でありそれが有効なのではないか?という挑戦的な課題も出てくると思われる。
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本年度創設された「読書マラソン コメント大賞」。このほど受賞者が決まりました。 5119通の応募の中から金賞1名、銀賞2名、銅賞3名、ダ・ヴィンチ賞1名、審査委員特別賞6名とナイスランナー賞100名が決まりました。うちの生協ニュースです。
橘大学の吉井恵美さんが見事銅賞に入賞しました。
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